読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

戦前日本ですでに『教育勅語』は古いと見なされていた

 森友学園を経営母体とする塚本幼稚園では『教育勅語』教育をしている,との報道があった。

まあ、幼稚園で『論語』の暗唱、朗唱をさせているところはいくつもあって、何度かTVで見たことがあるが、塚本幼稚園のように『教育勅語』の朗唱をやっている幼稚園は知らなかった。

>毎朝の朝礼において、教育勅語の朗唱、国歌“君が代”を斉唱します。

>剣道、ラグビー、スイミング、リズム合奏、そして日本の伝統文化である論語、将棋、

>そろばん、大正琴、日本太鼓、毎月良書選定して読み書き・読み聞かせに力を入れてい

>ます。それらにより、より一層の人間力を高めています。

 確かに、この幼稚園のサイトを見ると、『教育勅語』が出てきて、その口語訳(事実上の解釈、解説)も出てくるのだが、しかしよく見ると口語訳では天皇とか、皇室とかがまったく出てこない。これでは尊皇的な(あるいは右翼的な)人びとは、首をかしげるのではないだろうか。

http://www.tukamotoyouchien.ed.jp/about/

教育勅語』は日本国家ではなく、明治天皇の名前で出されたものである。しかし、晩年の明治天皇は、この『教育勅語』を変更しようとしていた。西園寺公望らが、第二の『教育勅語』を創ろうとしていた。しかし明治天皇は死に、西園寺も死んだ。

 今日では、『教育勅語』は過去の遺物である。おそらくこのことと関係するのだろうが、

塚本幼稚園が使っている口語訳(国民道徳協会の訳文)は、原文の内容をかなり

が変えてしまっている。これは一種の「修正主義」と言っていいほどだ。

る。

 要するに、第二の『教育勅語』は登場しないままに、21世紀初めの今日、本来の内容をかなり薄めた解釈の『教育勅語』が,ごく一部に出回っているということであろう。

 以下に、この「教育勅語の口語文訳」の全文を引用する。

「私は、私達の祖先が、遠大な理想のもとに、道義国家の実現をめざして、日本の国をおはじめになったものと信じます。そして、国民は忠孝両全の道を全うして、全国民が心を合わせて努力した結果、今日に至るまで、見事な成果をあげて参りましたことは、もとより日本のすぐれた国柄の賜物といわねばなりませんが、私は教育の根本もまた、道義立国の達成にあると信じます。

国民の皆さんは、子は親に孝養を尽くし、兄弟・姉妹は互いに力を合わせて助け合い、夫婦は仲睦まじく解け合い、友人は胸襟を開いて信じ合い、そして自分の言動を慎み、全ての人々に愛の手を差し伸べ、学問を怠らず、職業に専念し、知識を養い、人格を磨き、さらに進んで、社会公共のために貢献し、また、法律や、秩序を守ることは勿論のこと、非常事態の発生の場合は、真心を捧げて、国の平和と安全に奉仕しなければなりません。そして、これらのことは、善良な国民としての当然の努めであるばかりでなく、また、私達の祖先が、今日まで身をもって示し残された伝統的美風を、さらにいっそう明らかにすることでもあります。

このような国民の歩むべき道は、祖先の教訓として、私達子孫の守らなければならないところであると共に、この教えは、昔も今も変わらぬ正しい道であり、また日本ばかりでなく、外国で行っても、間違いのない道でありますから、私もまた国民の皆さんと共に、祖父の教えを胸に抱いて、立派な日本人となるように、心から念願するものであります。」

〜国民道徳協会訳文による〜

 『教育勅語』の原文には、次のような、時代錯誤の条(くだり)があり、TBSや『毎日新聞』などマスメディアが森友幼稚園について取り上げさいに取り上げるのは、つねにこの部分である。

 しかし、前述のように、この部分を塚本幼稚園はぼかしおり、ごまかしている。

>「一旦(いったん)緩急(かんきゅう)アレバ義勇(ぎゆう)公(こう)ニ奉(ほう)ジ、

>以(もっ)テ天壤無窮(てんじょうむきゅう)ノ皇運(こううん)ヲ扶翼(ふよく)スベシ。

>是(かく)ノ如(ごと)キハ獨(ひと)リ朕(ちん)ガ忠良(ちゅうりょう)ノ臣民(しんみん)タル

>ノミナラズ、又(また)以(もっ)テ爾(なんじ)祖先ノ遺風ヲ顯彰(けんしょう)スルニ足(た)ラン。」