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聖書の真理を受け取り続ける!

ハレルヤ!

皆さまおはようございます(^-^)

今日は朝出勤です。

今日もまずは御言葉から御心を聴いて行きます。

■ディボーション・第1テモテ4章1節〜16節

■御言葉8節〜9節、16節

●肉体の鍛錬もいくらかは有益ですが、今のいのちと未来のいのちが約束されている敬虔は、すべてに有益です。(8節)

●このことばは、真実であり、そのまま受け入れるに値することばです。(9節)

●自分自身にも、教える事にもよく気をつけなさい。あくまでそれを続けなさい。そうすれば、自分自身をも、またあなたの教えを聞く人たちをも救うことになります。(16節)

■分かち合い

■キリストに仕える立派奉仕者

今日の箇所の中心は、6節に書いてある「立派な奉仕者」ということで、「キリストに仕える立派な奉仕者」は、

「牧者が聖徒に聖書の真理を教えることによって、牧者も聖徒もそのようになる」ことを言っています。

■悪霊による惑わし

しかし、そこに邪魔が入るわけで、

パウロは1節〜3節にて、終末の時代になれば、教会内部に悪霊による惑わしがあり、その教えによって信仰から離れる人々も出てくることを警告しています。

ここに上げられているのは、結婚を禁じたり、ある一定の食物を禁じたりすることですが、

その他、多くの惑わしについても、「御霊によって聖書の真理を学び受け取り続ける」ことによって、「聖霊からのものなのか、悪霊からのものなのかの見分けがすぐに付く」わけです。

因みに、クリスチャンになったとは言え、悪霊による惑わしを受けて信仰から離れた者について、ぺテロはこう言ってます。

■第2ぺテロ2章20節〜21節

●主であり救い主であるイエス・キリストを知ることによって世の汚れからのがれ、その後再びそれに巻き込まれて征服されるなら、そのような人たちの終わりの状態は、初めの状態よりももっと悪いものになります。(20節)

●義の道を知っていながら、自分に伝えられたその聖なる命令にそむくよりは、それを知らなかったほうが、彼らにとって良かったのです。(21節)

これは私が信仰を持ちたてに試練にあいデビューいきなり教会から離れたいと思った時、語られた御言葉でしたが、これは強烈なインパクトでした。

離れなかったのは、「聖書に書いてあることは私にとって真理である信じて、クリスチャンになった」からです。

故に、思うところこのようになった人は、クリスチャンになった時、まだ実は内心悪霊の教えのが良いと思えて、心で偽って形だけなった人々で、「最初から救われてない」のではないかと思わされます。

これを思うとパウロが10節で言った、

●私たちはそのために労し、また苦心しているのです。

は、そうした人々を出さないためにであるなと思わされます。

●それは、すべての人々、ことに信じる人々の救い主である、生ける神に望みを置いているからです。(10節)

と続きますが、

「福音による救いはすべての人が対象ですが、信じて初めて効力を発揮する」し、

●信じる者にこそ、決して失望に終わることがない!

ここに希望があるわけですね。

■御言葉から

だからこそ、聖書に書いてある真理を学び、受け取り続ける重要性はここにもあるな思わされます。

8節〜9節においては、私がディボーションを続けようと思った源の御言葉で、続けたことによって、今の主イエスの平安と喜びの実を結ぶに至るわけですが、この御言葉に出会えて良かったなと心から思います

また、

締めの16節においては、

●自分自身にも、教える事にもよく気をつけなさい。あくまでそれを続けなさい。

と、「教えながら、教えられる謙遜」こそですね。

●そうすれば、自分自身をも、またあなたの教えを聞く人たちをも救うことになります。

こうして、牧者も聖徒も一緒に救いのゴールに行くわけですね(^-^)

では、今日はこの辺で(^-^)

今日も皆さまの上に、主の恵みのシャワーが降り注ぎますように☆